「引越し」をはじめてしたのは19歳のとき。親に大反対され、岐阜から京都への移動。あのときは、無我夢中で、とにかく親元を離れるということが大問題で、引越し自体への感慨はなかった。その後、京都で3回、引き続き京都から東京へ転勤。東京へやってきてもう10年近くになるが、いずれも神楽坂にこだわり、その周辺をさまよっている。
 会社員時代から同じ場所に住み、そこで無理してSOHOをやっていたせいか、手狭になってきた。資料も思うように整理できず、周囲にも迷惑をかけ……。それ以上に、「考える空間」がほしくなった。でも出張族の身としては、引越しをするゆとりすらなかった。場所的にも時間的にも余裕のない日々をおくってきたせいか、どこかで何とか区切りをつけたいと思いながらも……。そんな中、毎月通い続けていた台湾のプロジェクトが一応完了した。そのとたん、「よし、今すぐ引っ越そう」というファイトが沸いてきた。ひとつの大きな仕事が終わったのだから、次のステップに進むためにも環境を変えることは意味がある。そう思った瞬間、不動産屋回りが楽しくなってきた。そしてその決意から2週間も経たないうちに、次の住まいをみつけることができた。もちろん、年齢的には、今流行りの「マンション購入」も考えないことはなかったが、常に旅行・出張をしている生活をしていると、「モノを所有する」ことの意味を時々考えてしまう。いつ、飛行機が墜落、或いは現地で病気や事故に遭遇するかもしれないのに、借金して高い買い物をしてもそれが自分にとって意味があるのか……と。どこかで読んだ「人生はレンタルである」という名言に私も大賛成であり、そんなことを考えると住宅もレンタルで十分。なるべく所有するものは少なくして、スリムな人生の方が気楽で、身動きがとりやすい……とそう考え、今回も購入はせず、賃貸とした。引越しをして、もし気に入らなければ、また引っ越せばよい。いつか海外に住みたいと思うようになったら、いつでも行ける……。とそんな思いもある。生まれもってのジプシー流である。
 さて、5年ぶりの引越し。しかもいつの間にか、資料や衣類が増えている身にとって、そして毎日仕事しながらの引越しは心身ともにハードな行為である。まずは見積もり。自宅にポスティングされていたチラシから「夏の引越しは半額!」と書いてあったD引越し会社に電話をする。すると、営業マンが見積もりに飛んできた。しかも「研修中」とのことで、若い女性を同伴しての訪問である。部屋に入り、荷物の内容・ボリュームをチェックし、その場で見積もり。夏は引越しのオフシーズンらしく、その時期に仕事をとろうと、引越し会社も熱心である。一通り、荷物チェックが終わり、計算も済んだところで……。
 「奥様!こういった金額ではいかがでしょうか?」思いっきり安く、サービスしていますよ。と自信たっぷりに切り出す営業マン。その一言に、ちょっと待ったのイエローカード。おとなしく、営業マンがひととおり話し終わるのを待っていた。そして、そのあと「あの、すみませんが、私は『奥さん』ではありませんよ。一言言わせていただきますけれど、女性のお客さんを見て、何でも『奥さん』と決め付けていわれるのはいかがなもんでしょう? そういう営業をしていると、仕事とれないと思いますよ。お客様は男女関係なく、名前でお呼びすればよいのではないですか?」と切り返し……。その言葉に営業マンは驚き、隣に座っていた研修生は大きく頷き……。この問答で、営業マンはすっかりこちらの言いなりになってしまい、引越しの見積もりもさらに値下げ、サービスをしてくれる結果となった。(この引越し会社の会社案内には大きく『奥様、引越しなら当社にお任せ……』と記載されており、営業マンが口にするのもやむを得ないか……とも思ったが、これは至急改善すべきことである)いずれにしても、商談は成立。早速、引越し会社から届けられたダンボールに荷物を毎日、少しづつセットし、積み上げていく生活が始まった。最近では荷造りも任せられるサービスもあるそうだが、それでは必要なものも、必要でないものも持っていくことになるので、結局は自分でひとつひとつを確認しながら荷造りをするしかない。仕事をしながら、狭い自宅で、ダンボールに囲まれる生活……。ああ、引越しは面倒だと泣きそうになりながら、そしてあまりのゴミの多さに後ろめたい気持ちもうまれ、憂鬱な引越し準備期間を送った。
 一番悩むのは「書籍」である。学生時代にバイトでためたお金で買ったもの。当時はそれなりに高価であった、あるいは今や絶版の文芸書や哲学書があったりする。そのときも眺めているだけで読まなかったし、それからも読んでいないのであるが、その本が本棚にあるだけで買ったときの苦労とか、学生時代を思い起こすことができるので、捨てられず15年も手元においていた。いってみれば、大切な宝物である。しかし、私には思い出がありすぎて、その分だけモノも残っている。だから思い出の分だけモノも増えていく……。これでは死ぬまで増える一方だ。きりがない。断腸の思いで、本を手放すことに。ゴミの日に出すか、いやブックオフへ売るか……あれこれ悩んだ末に早稲田の古本屋に電話をして、気のよさそうな店主に話しをし、来ていただくことに。「古本屋も大変な時代なんですわ」と、店主は持参した紐で本をゆがきながら話しはじめる。なんでも、最近の学生さんは本を読まなくなっているらしい。だから学生街の古本屋のターゲットも変わってきているとか。本を大切にした時代は、私たちの時代で終わったとか……そんな話も聞かせてくれた。帰り際、店主はズボンのポケットから5000円を出し「少なくて、悪いけど。」とおいていった。そして「うちも今度、改装するから一度見に来て」と……。こういう出会いもあり、苦痛の引越しがたちまち「学びの引越し」「出会いの引越し」となった。
 そんなこんなで、湿布薬?に世話になりながら荷造りを当日朝までに終え、そして引越しスタッフを迎える。元気で活きのいいお兄さんたちが登場し、スピーディーにスムーズに荷物をせっせと運び始めてくれた。その段取りと手際の良さは見ていても心地よい。プロを感じさせてくれる仕事である。その日は38度の炎天下で、何もしないで立っているだけでも暑い休日であった。そんな中、スタッフは汗を流しながらがんばって運んでくれた。夕方近く、すべての荷物の移動が終わり、引越し会社との清算である。そのとき、担当のスタッフが封筒に入ったアンケートを差し出し、「今日の感想をこの中のアンケートに書いてください」という。そのアンケートはお客が記入したあと、封筒に入ったまま会社へ提出される。スタッフ自身では中身を確認することはできない。本社はダイレクトにお客の声をきき、そこでその担当者の仕事ぶりを評価し、給料を算定されるそうだ。(そのしくみは事前にきいていた。)だから現場のスタッフの働きも違うはずだ! と納得。思わず私はアンケートに「この仕事は営業も大変であるが、暑い日に重い荷物を運ぶという現場仕事は本当に大変な仕事だと思います。彼らスタッフの健康管理と働きに見合うギャラをぜひ考えてほしいです」と書いてしまったが、さてどんな結果になったか楽しみである。荷物を運び、今度は100個余りのダンボールを開け、片付けである。これも今から思えば、二度としたくない作業であるが、なんとかなんとか格好がついた。
 そして、引越しをして1ヶ月が経とうとしている。いろんなことを学んだ。環境が変わるということは自分も変わるということだ。そして「引越し」の本来の意味を考えたとき、たくさん引っ越す方が楽しいとも思った。引越しの数だけ、新しい生活ができる。人生を何倍か楽しむかのごとく。それと、モノをもつことの意味についても考えさせられた。いかに、無駄な生活、無駄な買い物、無駄な所有をしていることか。それはそれで意味のあることであり、私にとっては、これらは少なくともストレス解消でもあったのであるが、「持たない幸せ」もあるのではないかということを、今回の引越しで学んだ。そして、ゴミを出すことの罪悪感……。

何が一番大切か? かけがえのない体験をたくさんすること。楽しい時間をたくさんもつこと……。これに限るのではないか? もちろん、楽しい時間を過ごすために、これまでにないとっておきの「ソファ」を買ってしまったわけであるが……。これは無駄ではなかった。と思える新しい生活をしたい。
さあ、新環境でいいアイデア、いい発想、いいコミュニケーションのネタづくりに励むとしよう。