海外に出る目的はそのときによって異なるが、クライアントとの打合せや会議のこともあれば、視察や買い付けといった具体的な業務から、現地の旬の情報収集であったり、自分の企画業のための素材情報の仕入れ、イマジネーションのトレーニングであったり…とにかく、日本ではできないことをする! 多目的を同時にこなす、価値、甲斐のある時間を創る、普段と違った感動をたくさん集めるというのが、私の大切な「仕事」である。思えば、集中して読書ができたり、原稿を書けたり、アイデアがまとまったり、新しい発想が湧いて来るのも、一歩外に出たときである。基本的に誰とも話をしない時間、異邦人になれる時間は私の仕事、生活には欠かせない。普段崩れがちな生活のなかのINとOUTのバランスを取り戻すことができる、貴重なひとときでもある。
そして、そのなかでも重要なのは、「朝の過ごし方」である。東京では夜遅く、朝早い生活を義務的に何とかこなしているが、海外での朝は違う。とくに一人旅のときは、夜も早く休むため目覚ましなしで夜明け前に目が覚める。寝ているのがもったいないという気持ちになる。そして窓を開け「今日の天気」を確認する。(しかし、真っ暗でわからず…)テレビの音声をBGMに原稿を書いたり、ゆっくりとお風呂につかりながら1日の計画を確認し、身づくろいをする。そして気分と体調をONに整え、ゆったりと朝食をとる。
世界の多くのホテルではビュッフェスタイルの朝食を用意しているところが多いが、個人的には品数の豊富すぎるビュッフェはあまり好まない。遠いところまで来て和食があるとがっかりする。そこの土地でしか食べられないものを体験するか、超シンプルで凝縮されているか…が自分の好みである。朝食ボリュームがTOO
MUCHな場合はホテルではなく、街に出て地元のカフェへ行ってその土地の「モーニングサービス」を楽しむ方が楽しい。
自分が今まで行って思い出深いのは、なんといってもイタリアの朝食である。シシリアのカターニャ、バッサーノ、そしてナポリ。いずれも外れのない内容であった。とくに感動的なのは、ナポリのホテル。モッツェラチーズとトマトはもちろん、ナポリの伝統的焼き菓子が必ずテーブルに用意されている。同じビュッフェスタイルでも、その土地の特徴が生きたフードのみが出される。ブラッディオレンジジュースがあるのもうれしい。(オレンジ色ではなく鮮やかなレッドカラーのオレンジジュースである)こういったところからも、イタリアのスローフードは徹底している。もう「どこでもいつでもある…」そんな利便性にはご遠慮いただきたいときもある。ひとりで食事をしていると、私を外国人だと思ってか、ホテルのサービス係が気を利かせて、お皿に小さな焼き菓子を載せ、席までやってきたりする。これを試してごらんというのである。「これはSFOGLIATELLAというナポリのお菓子だ」と教えてくれる。朝から心憎いサービスをしてくれる。静かな食堂でゆっくりその土地の食べものをいただきながら、感激の気持ちでいっぱいになる。お腹が満たされたあと、私はちょっと勇気をもってホテルのレセプションへ向かう。
「あのー、広間にあるピアノを弾いてもよろしいですか?」と係に聞く。
「いいですよ。プレーゴ」OKが出たので、私はそのまま大広間に向かい、ピアノの蓋を開ける。鍵はかかっていない。
名も知らぬ古いグランドピアノ。どんな曲を弾いてきたのだろう。どんな人が弾いてきたのだろう。想像が膨らむ。このピアノは、パーティーなどがあるときに利用されているのであろう。普段は誰も弾いていないようである。100人で社交ダンスすることもできそうな、大きな大きなホール。
デザインは18世紀の宮殿を思い起こす、とっても上品なクラッシックスタイル。部屋全体がライトダークブルーと金で組み合わされ、シャンデリアにも気品漂う…。そこでピアノを弾けるなんて、自分が宮廷音楽家にでもなったかのごとく、まさに夢の世界である。
実は、前回このホテルに初めて来たときにも、弾かせてもらった。そのとき、ホテルのスタッフが早朝からホールに響く音色に気付き、ピアノまで様子を見に来るという一幕もあった。
そして今回も……。せっかくイタリアに来た、ナポリに来たのだからと…普段日本のイタリアンレストランで演奏しているカンツォーネのレパートリーやイタリアの映画音楽などを奏ではじめる…。気がつくと、ホテルのスタッフが入れ替わり立ち代りやってきて、ある人は一緒に口ずさみ、ある人は目を閉じて聴き入る。(とくにゴッドファーザーに出てきそうなANTONIOという男性が印象的だった。彼はしっかり仕事を忘れてひとりの観客になっていた)曲が終わると拍手もいただき…。また、なぜかある人はカメラを持ってきて、一緒に撮影しようといいはじめる。みな、しばし業務を忘れて、ピアノの回りで楽しい朝の時間を過ごす。
偉いお方らしき人もやってきた。あまり調子に乗って長く弾いているので注意されるのかなと思いきや、「どうぞ、お続けください」と笑顔、そして握手。私は冗談交じりに、もしナポリに住むチャンスがあれば、ここでピアノを弾かせてくださいともいった。(この結果は…内緒)
そして、宿泊2日目の朝、もう発つ日である。レセプションのスタッフは私が近くを通っただけで朝の挨拶と握手をしてくれた。もうアミーゴ感覚なのだ。そして、またもや、SFOGLIATELLAとブラッディーオレンジの朝食を軽く済ませ、ピアノへ…。大広間を掃除していたスタッフは、なぜかピアノを弾く間、掃除機をやめ、ワックスがけに作業を変更(レセプション係が彼に何か指示を出したようで…)
電車の時間があるので、ナポリの思い出の曲を2~3曲だけ演奏、ふと気がつくと、さっき食堂にいた日本人のゲストがその広間のソファに座って、私の演奏をじっと聴いている。演奏が終わると、拍手をしてくれた。(彼には私がナポリ在住の中国系? ピアニストに見えただろうか? 同じ日本人の宿泊客だと気付いただろうか…。)また大広間の隅にいた掃除スタッフは、「弾くのをやめないで、もう終わり?」と惜しんでくれた。そう、彼はピアノと一緒に鼻歌を歌い、掃除をしていたのだ、楽しそうだった。
今度、いつ来る? また来たら、弾かせてね。聴かせてね。そんな会話を交わし、ナポリのホテルを発った。
そのとき、ずっと降っていた雨も上がり、風もやんだ。続く旅の無事をサンタルチア湾が祈ってくれているような気がした。
私にとって、世界一最高で、贅沢な朝食をいただいた、ナポリでの生体験。
どんな料理にも勝る「ピアノ」というデザート。ボーノ、ボーノの朝。ご馳走様でした。
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