学校を卒業してすぐに京都にある印刷会社に入社した。お得意先企業のマーケティングコミュニケーション活動のサポートが私の仕事であった。酒造会社の社内広報活動にはじまり、下着のキャンペーン、仏教系大学の広報企画…とにかく今思えばいかにも京都らしい仕事をてんこ盛りさせていただいたと有難い限りであるが、その中でもとくに20代の私にとっていい勉強をさせていただいたのは山科にある教材メーカーの仕事である。そこは学校で使う副教材(ドリルなど)以外に家庭学習教材を作っており、全国に数万人いるといわれる母親たち(ここでは教育モニターという言い方をしている)を通じて、全国の各家庭にその教材を届けている。その販売方法・流通のしくみは、今でいうネットワークビジネスという見方もできるが、しかしこの会社では「販売」という言葉は一切使わず、家庭教育の大切さを全国に広める普及・啓蒙活動であるとし、それを30余年も維持継続しているから大変ユニークなのである。
 私は付録の企画開発編集を担当させていただき、その当時は珍しかった漫画本の付録や会員向け(小学生向け)フリーペーパーなどを企画していた。その一方で、その教材を各家庭に普及するお母さん(モニターさん)向けの情報誌も創刊当初から担当しており、北は釧路、南は鹿児島へと全国のモニターさん取材に東奔西走していた時期があった。未婚で子育て経験のない小娘が全国の子育てプロであるお母さん相手に座談会を開く。毎回緊張の連続である。テーマの多くは当然、母親の子育てに対する内容である。とにかく何百人のモニターさんにお会いしたことかもう思い出せないが、紙面に自分の顔写真や意見が載るということに喜んで協力してくださる方ばかりだった。自宅でお茶とケーキをご馳走になったり、手作りの辛子レンコンをお土産に持たせてくださったり……(いやいや、思い出すのは食べ物のことだけではない)また座談会ではそれぞれの人生観やいろんなご苦労話が出てきて、思わず参加者全員が涙ぐんでしまった……という一幕もよくあり、自分の仕事の重さをひしと感じて帰りの列車に飛び乗ったこともあった……
このような取材のおかげで全国各地の風土・四季の移ろい・生活習慣の違い・方言……を知ることができ、この仕事を通じて「日本」という国を学んだといっても過言ではなかった。苦労もあったが、心に残る、思い出いっぱいの仕事であった。
そして会社員最後の取材は埼玉の川越であった。ここではその時手づくりの音楽コンサートを開催されており、それは教材を使っている会員さんを招待しての特別イベントであった。
……あれから数年の歳月が流れ、ある日そこの責任者から留守電が入った。「今度、わが支部のモニターさんたちの前で講演をしてほしい。皆さんがいきいき輝くような、元気が出る話をしてほしい」という内容であった。驚いた。当時、一取材者であった自分のことを覚えていてくれたこと。年に1回の年賀状だけでこうやって縁が続いていたこと。そして、以前お話を聞かせていただいていたお母さんたちの前で今度は自分の話をさせていただけるなんて……。「喜んで!」なんだかタイムトリップした気分で、久しぶりに川越の町を訪ねた。
 その集まりは「モニター会」という集会で、その日は約30名のお母さんたちが集まってこられた。会の主目的は新学期に向けてのキャンペーンの説明であり、そのあとに私の講演というプログラムである。私は「ハッピーコミュニケーションが豊かな人生を創る」というテーマでお話をさせていただいた。人生においてもビジネスにおいてもいかに「出会い」が大切であるかということ。そしてその出会いをいかに自分のものにしていくか……ということについて自分の体験や事例を踏まえ、お話をさせていただいた。聞いてくださったのは20代から60代のお母様たち。自分の母親と同世代の方も混じっている。この方は恐らくご自身のお孫さんが会員さんなのだろう。長年このお仕事に関わってこられているのだろう。
非婚であり、子育て経験のない自分が、この人生の先輩、子育てのプロに対して、何を伝えることができるのだろう……。そう思いながらも私も真剣に語りかけた。皆さんの真剣なまなざしに見守られて、あっという間に予定の時間が過ぎた。
たくさんの拍手をいただいた。そして驚いたことにサインを求めてくる人、一緒に写真を撮ってほしいとおっしゃる方、また「またお会いしたいです」と握手を求めてこられる方……がおられた。ああ、10年前取材に行ったときの雰囲気と変わっていない。なんと暖かい空気か。いかに生きるかということについてお母さんたちは真剣だった。今日も私の話から何かを得ようと真剣に耳を傾け、目を輝かせておられた。笑顔が素敵だった……。ああ、ここはこんな素晴らしい面を持っている組織なのだと再認識。
私は自分の20代の取材生活時代を振り返りつつ、時間が経ち、世代が変わっても普遍なる空気を確かに感じ取った。
家庭の崩壊や、個食(孤食)……いろんな悲しいニュースはよく見聞するが、それが日本の家庭のすべての肖像ではなく、このように実際に「家庭」で「地域」でがんばっておられるお母さんパワーが健在であったことが、本当に嬉しかった。皆さんの握手と笑顔に見送られ、会場を去った。去りがたい気もちであった、そして何かとても清清しい気もちでいた。そして自宅に帰ったあと何人かの方からメールが届き、また封書が届き、中には最近離婚された方がおられ、私の話を聞いて、また元気にがんばろうと思ったという手紙も届いた。
そこの組織(本部)では当時から(あるいは創業時からか?)「不易流行」という言葉を使っておられた。その言葉を久しぶりに思い出した。
一見変化の激しい昨今ではあるが、「永遠なるものは何か」を考える機会を得た。人間である以上、人と人が出会い、交じり合い、成長していくことを喜びとする……このアウフヘーベンな営みは人類が滅亡するまで普遍であろう。これこそが人類の発展に貢献する基本的なことのはずである。
「日本の家庭」はまだまだ安泰だ。強い母親が日本中でこんなにがんばっているのだから。自分の子ども時代をふりかえりながら、あの頃の「母親の元気」が今も健在であり、「母の愛」が何者よりも強いことを再認識して勇気づけられた。またあの日本のおかあさんパワーに出会いたい。がんばるステージは違えども、いつも前向きに生きているあの姿に共感と感動を覚える。