今回はとってもとっても私的な物語。 30歳の頃から、相棒と同居している。しかし、結婚をしていない。もう12年も住んでいるのにどうして?と思う人が多いと思う。 それは相手が拒否していることではなく、私のつまらないつまらないこだわり?であり、生き方によるものである。 女だけの2人姉妹という環境で育ち、「結婚するならば養子をもらえ」と耳にたこが出来るぐらい言われ、結婚とは自分の意思でなく、家のための強制的でまったくもって迷惑なことと思ってきた。また「主人」と「奥さん」という言い方も昔から大っきらいで、それぞれが人生の主人だといつも思ってきたので、いつでも億に潜んでいそうな「奥さん」という言い方に抵抗をもち、あるときは自分が申し込んだ引越し会社の営業マンがうちに来たときに「奥さん 今日はご主人お留守ですか」といったときには、「私がこの引越しのお金払うのだから私が主人ですよ。女性とみたらすぐ奥さんというのはおかしんじゃないの?今は奥さんばかりじゃないんですよ。」と怒り返したこともあったぐらい、日本の封建的家父長的社会にはどうも肌が合わず、またそれに従うと自我がなくなると思い、それに反発して生きてきたようなところがある。 だから、気の合う、好きな人と一緒に暮らすのはいいが、その「家」制度に巻き込まれ、自由がきかないのはまっぴらごめん。それから、途中で他人の名前を名乗るなんて絶対にいや。とこのまま進んできた。ま、人は人だからどっちでもかまわないのであれうが、周りの結婚していく女性たちがなぜそれでいいのかなと不思議に思いつつ生きてきた。 そんなこんなで、自分勝手な生き方をしてきた自分にとっては、結婚とは何かしら保険のようなものでしかなく、今ひとつ魅力がない。また一人の人に結婚という枠ではめられて自分の人生が不自由になるのもいや・・・。結婚を尊い人生の節目と思っている人にはなんとまあふざけた奴だと怒られそうであるがまた結婚して子供を生み、育てないと人間一人前じゃないよといわれれば、そのとおりであるが、やはり名前が変わる変わらないという大切なことを簡単に決めたくないまま、こうして42歳まで生きてしまった。 もちろん子供を生もうと思えばそんなこともいってられないのであろうが・・・。 とにかく、日本の社会にどこかなじまない一面をもちながら、その中で好き放題生きさせていただいているのが、今の自分である。 結婚しないまま同居の状態が続く。相手にとってははなはだ迷惑かもしれないがそれを許していてくれる相手がいたということに一番感謝している。さて、その彼の母上が先日、癌で亡くなった。3年前の父上につづいてのことである。 元気にされている頃より、何度もお会いし、時々は近況もお伝えし、便りも多くいただいた。嫁でもないのに、家族旅行に呼んでいただき、黒部ダムや京都への旅行にも同席したことがあった。 それでも、もともと家的なつきあいをあまり得意としないので、控えめなおつきあいであり、積極的なものではなかったし、複雑な思いであったのは相手も同じであっただろう。 様態が悪くなり、ホスピスへお見舞いに行ったのが亡くなる数日前のことであった。かなりやつれた状態でベッドに横たわっておられたが、話しかけて普段どおりに話すと喜んで聞いておられた。「昌子さんは本当に元気ねえ。」 別れ際に「昌子さんのおかげです。これからもよろしくお願いしますね」と握手を求められた。長い長い握手であった。かつて大柄で存在感があったこの方の手は小さく、弱弱しいものであった。それが最期のご挨拶となった。 お葬式。伴侶もすでになく、その親戚にも声をかけず、本当に身内だけのひっそりした葬儀であった。嫁ではない、ただ喪主の同居人というおかしな立場で参列をした。 火葬前の最期のお焼香を待つとき、同居人の妹さんがこういった。 「昌子さん、もっと前に行ってあげてください。母は昌子さんが一番の誇りでした」と。また。その母上の妹さんが、甥っ子の嫁ではない私に抱きつき、泣き叫んだ。「昌子さん、頼みますね。○○○をよろしく頼みますね」彼のおばあさん(90歳?)が、なぜか私を見て、泣いていた。と、嫁でもない、へんてこりんな存在の自分を皆さんが大切に扱ってくれた。 私は亡くなった彼のお母さんに、ひたすら嫁と呼ばせなかったことに心の中で謝罪をした。その人には罪がなく、ただただ私のわがままであるから。でも、あの方はきっと理解してくださっていると思っている、これも聞く人が聞いたらずいぶんと自分勝手な話である。 男女が結婚しないでずっと一緒にいると、いろんな問題が出てくる。決められ、守られてきた社会のルールからはみ出ているからである。親が亡くなり、年をとっていくといろんな諸問題に直面するであろう。 彼には彼、私には私の祖先がある。それぞれを守らねばならないということである。しかし、これも時代の変化の中、そのときそのとき、一緒に考え、行動していけば何とかなるのではと思っている。またこういう結婚しない人が増えているので、もっと違うケースも増えてくるであろう。 「家」というユニットを最優先にして考え、構築されてきた日本社会のシステム。これに反発し、なるべく他人様に迷惑をかけない「個」を大切にした生き方に挑戦したいと思い、ずっとそうしてきた。 どこまでそれが通用するのかわからない。どこかでもうやめたということになってもかまわない。自分の意思で動きたいと思う間はそうしていたいだけである。 「うちの息子のお嫁さんになる人なんですよ。なってくれるといいのですけどね」とあるとき誰かに紹介されたときの言葉が今も思い出される。嫁にならなくてごめんなさいね。でも、でも、それ以上に頼りになるパートナーでありたいと思っていますからね。天に向かい、時々そうつぶやく。きっと聞こえていると思う。 それにしても、親が亡くなるのは人生において最大の節目と思う。結婚よりも もっともっと。親を大切にすることは大切なこと。 今回、いろんなことを勉強させていただいた。わがまま人生で本当に申し訳なく思うが、その分できることに精一杯の力を注ぎたいと思っている。
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